ツチニンの使い方がわからない

https://bo-man.hatenablog.com/entry/2020/08/08/023828

弱者が強者に論破されるときにありがちなことや、それ自体がありがちであることについて

筆者:stoic


リクエスト記事。
日を置いて発信するほどのものでもないので、勢いで書きました。
不穏な話題が苦手な人は戻るを押しましょう






(不穏な話題が苦手な人が戻る用の行間)

(不穏な話題が苦手な人が戻る用の行間)

(不穏な話題が苦手な人が戻る用の行間)

(不穏な話題が苦手な人が戻る用の行間)

(不穏な話題が苦手な人が戻る用の行間)

(不穏な話題が苦手な人が戻る用の行間)










お盆休みも残り数十分に迫った8/16の深夜、突如として僕のTLに、何かブログ記事への感想のようなものがツイートされ始めた。
僕のフォロワーは例外なく全員が根暗な陰キャオタク*1なので全然元記事がRTされてなく、探すのに少し手間取ったのだが、どうやら↓の記事が発端のようだった。
(ここに記事を貼ろうと思ったが、消えてしまったので、あとから読み返すと完全に意味不明な記事だねこれ。)
これを読んだ感想はごく端的に言うと「またこういうのね」というものだったが、こうした「強者が弱者を弾圧してしまっている(ように見えたり捉えられたりする)問題」というのは構造的に起こりがちである。

必然性

まず、ゲームなど何らかの競技性のある話題に関して強者と弱者の意見が食い違い、意見交換なり議論をした際、前提としてほとんどの場合で強者が正しいことを言っている。
これは、「強者様の言うことが正しいです!ヘヘェ」みたいなことではなく、基本的に強者というのは正しいことを考えた結果として、あるいは思考が正しい方向に向かった結果として強者になったからである。
したがってそのまま意見のぶつかり合いが続くとどこかで強者側はレスバに勝利できる。

強者だからレスバに勝ったのではなく、ちゃんと考えている人間が強者になれるし、ちゃんと考えてる人間が該当する話題のレスバにはやはり勝てるのだ。
逆にいうと、弱者は弱者だから叩かれてるのではなく、以下略。ということになる。

これはある種の疑似相関とも言える。

レスバに負ける弱者側は悔しい思いもするだろうが、まあ強者よりもちゃんと考えている人なら弱者のままでいる可能性は低い。レスバに勝ちたかったらちゃんと考えよう。
これも疑似相関で、ちゃんと考えていれば、ついでに強者にもなれるかもしれない。
(”ちゃんと”というのは努力の方向性なども含んでいる)

論理の飛躍

で、こうした主張が特に弱者側視点で繰り広げられる際にはもう一つの原因が考えられる。
これは少し不穏な話になってくるのだが、
これの逆を取ると、はっきり言って"ちゃんとした思考"が苦手な人は弱者側になりやすい。
そして、"ちゃんとした思考"が苦手な場合、

「単にレスバに負けたのだ」というだけでなく、
「自分が弱者だからいじめられたのだ、弾圧されるのだ」
というやや飛躍した発想に飛びつきやすい。

もう少し一般化すると、自分が受けた不当な(と当人が感じる)扱いを、自身の持っている何かしらの属性に基づく差別的待遇である、と断定するのは、はっきり言ってほとんどの場合論理の飛躍なのだが、現象としてその二つが当人の頭の中で多くを占めているため、
「自分が弱いから/新入りだから/嫌われ者だから/ブサメンだから/イケメンだから/独身だから/●●なマイノリティーだから/etc...」
と、
「今現在、レスバに負けた/論破された」
をいきなり矢印で結んでしまうのだ。

論理的にみてこういった思考は、
「今朝目玉焼きを食べたせいで上司に怒られた」
レベルの意味不明さをはらんでいるのだが、とにかく2つの現象が同時に存在するときに因果関係を見出しがちである、というのは、論理的思考のほんのちょびっと入り口に立った人間がとにかく陥りがちな過ちである。

しかも今回のような「強者が弱者を論破した」のような事案は、上に述べた通りで一概に完全な飛躍とも言い切れないため、気付く難易度はより高い。
例えば、
「今朝髭を剃らなかったせいで上司に怒られた」
を、上の目玉焼きの例のようにいきなり意味不明と断ずるのは少々難しい。
「今朝髭を剃らなかった」と「上司に怒られた」が、どちらも当人の性格のだらしなさに起因した現象の可能性があり、やはり疑似相関ととれなくもないからだ。

論破の必要性

さらにさらに不穏かもしれない話題だが、弱者が強者側から見て間違ったことを言った場合、それを指摘してくれる強者は結構なイイヤツであるな、と思う。
(強者があえて間違ったことを拡散したりするのは、単なる嘘つきなので論外なのだが、黙っている分には嘘つきにはならない)
黙っていれば、弱者は間違った思考のまま弱者のまま、レートなりオフ会なりの養分のままででいてくれるのに、そうはせず論破してくれているのだ。
そういったお人好しが強者の席にいる限り、"界隈"なるものは充分に"良い"状態である気がするし、未来も明るいと思う。


こういう感じ。*2

*1:ポケモンジョークです

*2:"良い界隈"とか"界隈を良くする"などといった概念自体に関しても、まあ色々と考えているところはあるのだが、今回は蛇足っぽいのでとりあえず書かないことにする